
いました。急に高熱が出て、何日かして敗血症になって、明日の今もあぶない状態で小児病院に入院しました。
高熱は続き、いろいろな注射を打ち約二ヵ月間入院しました。ちょうど母親の後を追うころになり、元気になってきた赤ちゃんを病院に残して、家に帰る毎日が辛かったことを、いまでも覚えております。一命をとりとめて、無事に退院できたときは、「本当によかった」とお医者さんに感謝しました。
やがて一歳の誕生日を迎え、言葉を二言、三言喋るのではと思っておりましたが、その気配がありません。一人で遊んでいる後ろから、名前を呼んでも振り向かなく、初めて息子は耳に障害が出てしまったことに気付き愕然としました。
幸せだった思いは結婚当初だけで途方に暮れる毎日でした。人には会いたくない。死んでしまいたい。自分でどうしてよいかわからない。
けれども周りの人たちが心配して、私たちをいろいろと助けてくださいました。
とにかく、大学病院に行って見てもらおうと思い、東大病院で何回も検査したが聴力がぐんと落ちていました。
そして、「現在の医学ではどうしようもない。教育するように」と診断され、学校を紹介されました。ただただ、何もわからず言われるままにしました。やがて、筑波大学付属の幼稚部に入り毎日の勉強が始まりました。先生の教えのままに子供に付きっきりの毎日でした。
妹が一人おりましたが、私も家族も全部、長男の教育にかかり切りで、妹には可哀想な日が
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